何者でもない自分の記録

ブログタイトルはちょくちょく変わります

あれ・・・書評書くつもりが全く書評じゃないや!

どうしたら自信を持てるのか?個性を活かせるのか?自分らしく生きれるのか?って本を延々と読み続けている。そういう自己洞察(自己啓発)がテーマじゃない本を読んでも結局受け取るのは「人と同じなするなんていう普通のことを選ぶな!」「幸せになるには、自分らしく生きるには、固定観念から自由になって言いたいこと言うしかない!」って言うこと。時間が立つとまた自分難民になるんだけど、また読んでインプットする。その繰り返し。

 

そんななので、こんなタイトルの本で、しかももぎけんさんの本だったら買いますよ。

「いい人」をやめる脳の習慣

「いい人」をやめる脳の習慣

 

 私は自己評価が低いってのもあるけど、自分のこと性格悪い、下衆い、と思っている。でも「いい人になりたい」と思ってきたし、いい人だと思われるような振る舞いをしてきた。自分がいい人じゃないからこそ、いい人にならないと人に受け入れられない、愛されない、人気者になれない、と思っているのかもしれない。

いい人と思われたいという願望と直結するかわからないが、自虐することで評価を得たいという側面もある。が、目上の人(というより年上?)には自虐が通じないとただの「ダメ人間」のレッテルを貼られるだけなので、あまりしないなあ。

ある種、自虐はボケで、相手にツッコミを入れてほしいのだと思うが、そうやって自分の存在価値をアピールしたいのかもしれない。

一方で目上の人にはめちゃ「いい子(いい部下・いい下っ端)」アピールする。これも昔からの習性で、目上には自虐よりも「あなたの言うことをハイハイ聞くことができてかつ尊敬してます」アピールが効く気がするんで。体育会系にゴマすりを兼ねたような?むしろ真面目系クズってやつか?

そんな多面性をもつことなんかも自分でやなやつだと思っていて、より一層「根っからのいい人になりたい!」と思う所以かも。

 

好かれたいというより、嫌われたくない、仲間外れにされたくない。一方で、普通に染まりすぎるのも嫌で個性的な自分でもありたい。

それがだいたい35歳くらいまでの私。

その後、仏教系の「考えない練習」とか「反応しない練習」とか読んで、

 そもそも「自分の個性を!」なんていうエゴは捨てて、人のために尽くすことこそ至高。という考えに変わったものの、もともと自分軸がなく振り回されやすいタイプなのですぐに疲れる。

アドラー心理学ももちろんかじっている。「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」も何度も読んだし。

 

私の場合、「嫌われてもいい」ではなかなか本心や本当の意見・感情を言えないので「むしろ嫌われに行く!」くらいの心づもりじゃないと無理かもしれない。

 

前にブログに書いた気がするが、大学生の時、毒舌キャラだったりおやじキャラを演じていた。今よりエッジは立っていたと思うが、思い出すと結構赤面モノ。思い出すだけでうわー!!ってなって死にたい消えたいってなる(*´Д`)

それでも、もしかしたら無味乾燥な今の自分に比べたら得るものも多かったようにも思う。

 

 

去年、とことん自分と向き合った気がするので、しばらく外側に目を向けよう。

と思いつつ、メルカリで似たような本を注文してしまうのであった。