わかりあえないことは分かっているけど・・・
離婚したい願望は過ぎ去っていたにもかかわらず
なぜか突然沸いてきた「なぜ自分だけが育児で制限されるのだ?」
・そもそも夫は定年制でクビになる可能性が低い
・なのに、子どもが風邪ひいて仕事を休まなければならないなどといった時、夫にはその選択肢が存在しない。私は非正規なので休んだら振替出勤したり(土曜だと託児費もかかる)、振り替えなかったらその分の時給はでなかったり
・土日もワンオペ育児なのは、土日も会社に出勤を命じられているからではなく(そういうことも時々はあるが)、自分の副業のために終わらない仕事の処理
・「仕事に行くのだから育児しないのはしょうがないことだ」という論理
・例えば、土日に人の手を借りてスキルアップのための勉強などもすることだってできるが、なぜそれを手配するのが自分ばかりなのだ?それも、泊りがけの研修など行かれないのだが?
↑こんなことを考えたらだんだん腹立ってきた。
子どもに人生を制限されるのは仕方がないと思える
だが、夫に制限されるのは納得がいかない
夫が仕事に集中し、報酬ももらい、社会的な評価も得ていることは自分や娘の犠牲で成り立っている
育児や家庭の負担を一人で担うことで、私はその土俵にすら上ることができない
そんなの言い訳だ!ワンオペ育児してたってやってる人だっている!←そりゃそうだが、なら夫のための家事や「物理的に居るのにやらない」精神的ストレスを抱えて夫婦やるくらいなら、シングルマザーになった方がより育児にも仕事にも時間を割けるわい。
それで、上記のような不満を伝えたところ、4月からは土日どちらかは夫がワンオペするので、勉強などに好きに使っていいよというところまでは歩み寄った。
それでも許せんのだ。
世の中には単身赴任やマグロ漁船に乗っていたりで物理的に同居できずワンオペ育児になっている家庭もある
そういった家庭と何が違うのか?考えた
・夫のための家事がある、というか育児より夫のための家事がネック
・物理的な距離や家事育児を実際手伝うことではなく、それを妻が負担していることへのねぎらいが欲しい
・男女差の話をすると誤解も生みやすいが、男は解決思考、女は共感、というのは一理ある。あと、育児に必要なのは子どもに対して一緒に関心を持っているという感覚を持てるかどうかということも大きい
結局育児してほしいというのが私の主訴ではないと気付く
気持ちをわかってほしいのだ
性別が違うからわかりあえない、という側面もあるだろうが、昨今の共感性の高い男性諸君を見ていると、やはりうちの夫の場合、発達障害由来だと思う
つまり、私自身結婚してから愛されている実感がほとんどないし、子どもに対しても愛情を注いでいるというより私にうるさく言われるから構ってやってるだけ、のように見える
今までそれを見てみぬふりして不満を抱えつつぬるま湯に浸かっていた自分にも腹が立つ
悪気はなく、そういう特性なのだろうけど、そうわかっていてもこの「心が通じ合わない」感は辛い
本人はかわいがっているつもりのようだが、はたからみると全くそう思えない。子どもより自分が大事に見える(この辺も特性なんだろな)
そして今までの数々の恨みによって私自身、夫に愛情を持てない
夫としてではなく、他人としてなら尊敬もできると思う
一方で自分自身の「人間性を高める」ということを考えた時、
・相手を許すこと
・見返りのない奉仕
が求められる(主にスピリチャル界隈で)。だから葛藤がないわけではない
私だって恨みや怒りから解放されたいわい!
というわけでもうどうにでもなれ~⇒別居したろ(今ここ)
そんなわけで虎視眈々と別居の準備を始めたところ。
なんか、根底には自己嫌悪があるのだよね。それはわかってる。
夫や実母へのこの許せなさって自己肯定感の低さと繋がってて、結局自分が許せないから母や夫に投影してるのだけど。
とにかくやってみたらなんか変わるかもしれないしねー。
失敗したらそれはそれで、いいんだ、と思えるようになっただけでも成長したと思っている。