何者でもない自分の記録

ブログタイトルはちょくちょく変わります

刑罰化の前に

幼児教育の無償化がらみで署名してからchange.orgから色んなDMが届くので時々署名してる。今日は性犯罪の刑罰について届いてて何も考えずに署名しようと思ってたけど踏みとどまった。というのもつい先日、電気グルーヴの件で賛同したばかりだからだ。

宮台さんが会見開いたりしてたけど、争点の一つが

「薬物報道ガイドライン」には「薬物依存症であることが発覚したからと言って、その者の雇用を奪うような行為をメディアが率先して行わないこと」が挙げられてい

ることである。

もちろんピエール氏は逮捕されてるし薬物使用は刑罰の対象となっているし、性犯罪の刑罰化と薬物に関するメディア規制とは論点が違う。

性的暴行事件や父親による性的虐待等が無罪となる日本はおかしいとも思う。

 

だけど、薬物依存症者を迫害したところで薬物依存症という一種の病気が原因である限り抑制するどころか逆効果になように、性犯罪の多くもやはり性依存症など治療が必要な人たちによるものだと想像しうるのだ。

私も性依存症についてはつい最近まで”性欲の強い人””欲求を抑えられない人”くらいの認識だったが、春休み中に週プレのwebコミック、

第1話 - セックス依存症になりました。 - コミック|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト]

を読んで、印象がガラッと変わった。

直接的な性行為だけでなく痴漢行為を繰り返す人、露出症(狂とは医学的に言わないらしい)、売春など性犯罪と呼ばれるものの多くがその対象であること、

また、彼ら彼女らの行為行動が、薬物やアルコール、万引き(クレプトマニア)、摂食障害などの依存症者と行動原理が類似している上に、多くの場合引き金となる性的なトラウマ(被虐待経験など)があることなど、”犯罪者”とか”性的逸脱”の一言では言い表せないことを初めて知ったのだ。

 

ホリエモンなど刑務所に入ったことのある人の手記を見て、

性犯罪者は全く反省しておらず再犯する気満々なことや、薬物で捕まった人は再犯率が高いことなどは知っていたが、この漫画読んで「なるほどなー!」と腑に落ちた。

 

 病気だから罰する必要がないということを言いたいのではない。でも、罰よりも治療・支援がやはり必要で、その第一歩が(少々乱暴だが)「病気である」と社会全体が認識することだと思う。そもそも更生保護だってソーシャルワークの支援対象だしな。

 

話は飛躍するけれど、子ども(特に乳幼児)が育つ中でいかに大人を信頼できるか?ということが自己肯定感や自立心を養うのに大事なわけ。親といつも一緒に居られなかったとしても親戚や地域の大人が自分に関心を持っている(仮に雷おやじに叱られるにしても)ことで自分は生きてていいんだって思えるわけ。

でも今は不審者がいるから怖い、警戒しなきゃならない、不審者から子どもを守るのが親の務め、みたいな風潮がある。

でも、”不審者”と呼ばれる人の多くは病気・障害or世代間ギャップや養育環境に問題があった人などであってナチュラルボーンサイコパスなんて1割にも満たないのではないだろうか?

つまり排除すればするほど、次世代の不審者が誕生してしまうのではないか。

 

薬物犯罪と違って性犯罪は被害者がいる点はもちろん考慮が必要だが、事件を起こした当の加害者を罰したところで次なる被害者が減るとは思えない。性犯罪が暴力であること、性依存症は治療が必要であることを周知していくことの方が先決な気がする。素人意見で申し訳ないが。

 

もし自分の娘が性被害にあっても同じことが言えるか?

想像しただけで胸が締め付けられるし親子ともども辛いだろう。でもまずは娘に「例え性被害にあってもあなたの人格が侵されたわけではないし汚れたわけでもない、母の愛情は変わらない」ということを言えたらいいなとは思う。

 

 

ピアノ、英語、スイミング、あとバレエの習い事について

1か月空いて「そろそろ書けや!」というメールが公式から来たの(笑)

 

某育児お悩み相談番組の録画を見た。

うちもこれまで色々な習い事に片足突っ込んでは辞めたり休んだり。

でも、絶対にやらせたくないのがピアノ。

絶対に、というか娘がどうしても習いたい!とか、ピアノの選定、設置、教室選び、送り迎え、月謝負担まで全て夫がやるというのなら考えてもいいよ、という程度。

なぜならトラウマレベルでピアノ教室が嫌いだったのに何年も習わされ、しかとそれが「私のためだ」と教え込まれてきたのが癪だから。

うちの場合、女子の教養とかいうよりは職業選択に必須だから、という感じでそもそも兄が習っていて私も「小学校の先生になるにはピアノできなくてはなれないし、子どもの頃に習ってないと覚えられないから」と教え込まれていた。基本、親の頭には子どもが将来公務員になることしかなかったので。まあ、田舎にゃそれしか仕事ないし両親ともに公務員だしね。でも一方でやはり母親の「私には(時代や金銭的な面で)できなかったことを娘で叶えたい」という自己投影はあるんだよね。自分でもそう言ってたし。

 

で、高校でようやくピアノ辞めれてさらに大人になって気づいた。

ピアノってコスパ悪くね?つか、大人になってからも必要に迫られればやるし、教員とかなる気ないんだが?

 

現代の住宅事情であの大きさのものを必ず用意しなきゃならない、しかもボール一つとあとグローブとかできるサッカーや野球と違ってコストが半端ない。今でも「脳の発達にいいから」とかいう理由で習い事としての人気が高い。

 

ママ友に静岡某市出身で、職業:ピアノ講師がいる。いわく、その出身地はピアノのメッカなので、子どもの頃クラスのほとんどはピアノ習ってたし、さらにその保護者がピアノ教室の先生、というのはデフォなんだそうだ。

それを聞いてピアノ教室の謎が解けたというか、結局そこなんだよね。 

それが出来るとくいっぱぐれがないのではなく、

それを習った人がくいっぱぐれないように職業が作られている。

特にピアノなんて高いもの、習ってなければ買うなんてことまず、ない。

ヤ〇ハやカ〇イからしたらピアノなんてコスパ悪いし

習っても役に立たないなんて言われた日にゃ商売あがったり。

 

一方でスイミングや英語はさ、初期投資はせいぜい水着とかCDとかスクールバッグとか。

なんだけど、ピアノと通ずるのは

”やった人じゃないとできない”こと。

歌うとか走るとかボールいじるとか踊るとかは、

やったことない人でもセンスがあればいきなりできたりってことも

なくはいないと思うんだ。

でも習った当日にいきなり譜面読めるひとや泳げる人や多言語を使いこなす人は

あまり想像できない。

と同時にそれらを習わされてなまじ人より優れてたから続けたけど

オリンピックやコンテストやTOEICで評価されるほどではなく

かといってほかにやってきたこともない、という大人が量産されてんじゃないかなー。

英語に関しては習った、というより短期留学とかワーホリに投資した、というべきか。

英語って言語だからさ手段として使いこなせてる人はそのまま海外で働いたり外資で働いたりしてるんだろうけど、「留学したこと」だけが売りの人とかが

英会話教室や英語教材の営業にいたりするよね。

 

 

あとはバレエ教室。うちから幼稚園までのチャリ25分の距離の間にバレエ教室そんなにいくつもいるかね?っていうくらい、ある。この少子化のご時世に。

バレエとかピアノって自宅で開業できる。英語とか学研公文あたりもそうだけど。

で、おそらくその辺の教室のほとんどは女性が教えてる。

出産で家に入り、子育てしながらも自分の特技を生かすスタイル。

なんだけどさ、どうしてもその人たちを食わすために習い事マンセーしてるというか

「うちの子、天才じゃない?」「〇歳までに始めないと手遅れ!」「これができないと小学校でついていけない(or一目置かれるはず)!」と思わせる仕組みが作られてる気がしてならない。 

 

 

ちきりんさんが前にアメフト事件のときにコメントしてたけど、

少子かなわりにスポーツなども選択肢は増えてるんだよね。

なるべくならケガなど危険のないもの、かつ少額から始められるものに人が流れるだろう、と。確かそんな話。

 

幼保無償化で高所得世帯ほど保育料が浮く仕組みになるんだけど、

月に最低25700円浮けば、習い事増やせるよね。

多分、上にあげたようなの全部一度に習えるよ。

一方で月8,000円程度しか浮かない低所得層は生活費にあてるよね。

一芸しかなかった子どもたちが多芸を身に付けられれば

習い事ビジネスも減るのかもしれないし

そしたら今のおかしなバランスが是正されるのかもね~なんて。

うちは無償化ならなそうなので皮肉です。

 

うちもスイミングも英語も体操もリトミックも幼児教室もやったことあるけど、

どちらかというと私の息抜きというか母子分離のための言い訳だったり、居場所づくりや人間関係を広げる目的。そういう家庭も多いと思う。

つまり、母親がリフレッシュするための言い訳としても習い事は使われてるとは思うけどね。

この流れでベビーマッサージ教室やベビーサイン教室というビジネスについてもいつか書きたいな。

ビジネス書自己啓発書はお休みして漫画漬けの毎日

2月から一つの仕事が春休み中ってこともあり、幼稚園のお迎えまでの空き時間に漫画喫茶に通い詰めている。

読みたくて仕方がない漫画がある、というよりは、今のうちに息抜きせねば・・・頭を社会モードからエンタメモードに切り替えねば・・・!という義務感のようなものだ。4月になればまた仕事が始まる。仕事に関することをずーっと思考していてもいいアイデアは浮かばないし、専門分野の知識を増やすことで勝負してもしょうがないんだよな~という気もしているため(別に勝負ではないが)。

私の娯楽といえば漫画→海外ドラマ(今は週2~3本)→ゲーム→時々お笑いというローテーションでやってきている。今なら全部スマホ1台あれば事足りるものばかり。

 

とはいっても子育てがネグレクト状態になるくらいハマれる漫画もそうそうないのだよね。まあネグレクトになったらそれはそれで困るのでこれくらいでよいのかもしれないが。

 

思い起こすとかれこれ20年は漫画喫茶に通っているが、半数以上の漫画は時間潰しというかそこまで心動かされないけど惰性で読んでたな~。今はそんな時間の余裕はないのでなるべくハズレを引きたくない、だからマンガ大賞とかこの漫画がすごい!とかそういうのから前情報を得るのである程度ふるいにかけることで「読まなきゃよかったわ・・・」にあたることも少ないが、「これに出会えてよかったわ~」という漫画に出くわすことも少ないな。

 

最近の傾向について思うことは。。。

オタクのオタクによるオタクのための漫画が増えたこと。ピクシブなどの投稿サイトの主流化によるもの。

オタクが市民権を得たことによりオタクを逆手に取ってネタにした漫画が増えているのだけれど、自己投影具合が半端ないし、秘め事だからよかったことが表沙汰になることによって楽しみが半減しているというか・・・。インディーズのアーティストがメジャーデビューで人気出たとたんに興ざめするファンの心理というか。

同じように、ラノベが増えて漫画がラノベに寄せて行ってる感もあって、正直年寄りにはキツイかな。

 

一方で、(あくまで私にとって)好ましい傾向としてスピンオフという名の原作者公認のパロディがいくつか見られるようになったこと。若い子のノリについていけないわ~という年配者には非常にありがたい。

 

連休の記事にも書いたんだけど、漫画やゲームにどっぷり浸かるとネグレクトしそうで不安だからブレーキかけている面もあるのだけど、一方でそこまでハマれる漫画やゲームになかなか出会えなくなってるのも事実。やはり登場人物のほとんどが年下になってきて、感情移入が難しいことが原因かな。

 

そのうち良かった漫画はレビューしようかな。

子どもが産まれてから連休が嬉しくない

タイトルの通りなんだけど、娘を育てるようになってゴールデンウィークとか年末年始とか、なんなら普通の週末でさえいつも憂鬱だ。

うちは土日祝もほぼワンオペでやってきた。旦那が子どもと二人で過ごすのは離婚をチラつかせてからようやく2ヶ月に1回3時間程度。今まで旦那に預けて夜出掛けるのも1年に1回あればいい方。あとは保育園やばあちゃんに頼って年数回。

それでも通常の土日ならまだワンオペの同士(パパが土日仕事)と過ごすこともできるけど、3連休以上になると都内に実家のあるママ友は皆実家に避難してるので遊べない。支援センターなども多くは日祝休み。そしてそういう施設の多くは3歳以下しか遊べない。児童館はOKだけど小学生が多く、幼児は狭い部屋に押しやられる。有料の施設でも週末、年末年始、GWなどは当然バカ混みだし入場規制がかかることもあり行きたくない。自分が人混み嫌いだってのもあるけど、幼児が大人しく並ぶなんてことはないからね・・・。

近所の公園も週末はイクメンパパたちばかりだから行きづらいのだよね。

保育園の一時預かりなども日祝はやってないし、長期休みは予約採れないことも多いので、仕事やイベントなどどうしてもって時は無認可の託児所を利用するけど感染症をもらってくるのも困るのでリフレッシュ目的ではあまり使っていない。

実家に帰省することもあるけども、片道約5時間2万円かかるし迷ってるうちに満席になるなんてこともある。

 

とにかく、長期の休みは敵!

今年はゴールデンウィークに親族でどこか旅行行こうという話があったのでワンオペから脱せられるー!と思っていたのに人数が多いため結局宿が取れず流れたようで、今必死に春休み&GWの予定を詰め込んでいる所である。保育園の時と大きく違うのが夏休みと春休みで、そこはホントに苦労する。

 

毎日おんなじスケジュールをこなすのが全然平気な人も結構いるけど私は性格上、毎日同じ公園行くとか同じ児童館行くとかが苦手だ。というか近場の公園などに行って中途半端な知り合いにあってうわべの会話をするのが苦痛だからってのもあってなるべく遠出したり、毎日違う場所に行くようにしている。でないと、子育てに「飽きて」しまう。

 

もし子どもがいなかったらどんな連休を過ごしているだろうか?平日仕事してたらまとまった休みはほぼ寝て過ごしただろうな。仕事してなくても連休なんて街に出たら人いっぱいだから家にこもってゲームでもしてただろう。

それが怖いから毎日違う用事入れて出かけてるのもあるかな。ホントは海外ドラマ一気見したり、漫画喫茶で全巻読破したり、積みゲークリアしたり、そんな休日を過ごしたい。というかそんなすぐ叶いそうな願望でさえ夢に思えるのが子育て。

切り替えられる人なら大丈夫だろうけど、私みたいな人間はゲームや漫画にハマりすぎてネグレクト一直線。

 

とりあえず春休みは日帰りバスツアー2件とボードゲーム大会、デイキャンプ、子どもアトリエ、kidsduoのスプリングスクールなどで埋めた。あとはばあちゃん家に単独で泊まってもらおうかな。

GWは、去年はバスツアーと青少年の家の宿泊イベントに行った。宿泊キャンプデビューさせようかな~

幼児教室を退会

 幼稚園入園を機にモンテッソーリ教育を体験させたくて、こどもの家や幼稚園ではなく、習い事として通えるところを色々回ったのだけど、時間が合わなかったり教師の教え方がモラハラ系(恥かかせて従わせる系)だったりでなかなかなく…それで探しまくった結果、モンテを取り入れてる幼児教室に体験に行ったら先生の教え方も好感が持てたのと、娘の幼稚園は自然体験、自由保育メインの園なので、週1くらいは椅子に座って設定保育的な世界を体験してもいいかもなーという判断で去年の6月からその幼児教室に通わせた。

 モンテッソーリのお仕事の他に、リトミックや工作など色々やらせてくれて、和気あいあいと過ごしている様子を見て、そこそこ満足してた。ただ発表会のための練習になると、時々娘は行きたくないということがあった。発表会といっても手遊びだったり自己紹介程度なんだけど、みんなが上手にできてる事が練習しても上手くできないのが嫌だとか言っていた。

 

 

 年中からはモンテッソーリのお仕事はなくなり、ほぼお受験対策として文字や数を教えるのが中心ということなので、それなら必要ないかな、と退会を検討することにした。ひらがなもまだ全部は覚えてないし数字もあやふやだったりするので、そりゃ続けたら覚える事はたくさんあるのだろうけど、わざわざ先取りするために通わせることには抵抗があるのだよね。もし、娘がどうしても続けたい!楽しいと言っていれば続けたかもしれないけど聞いたら「行かないでいい」そうなので(笑)1年も続かなかったけどしょうがないwww

 

 前にも書いたけど、この幼児教室のママ達との価値観というか、共感ポイント?方針?が違いすぎて合わないなぁといつも感じてた。例えばどんなことか。

*某名門風幼稚園に憧れてたけど「うちの子はそういうタイプじゃない」から行けなかったという。あんなクソみたいなところに憧れてる時点でうーん

*上記に似てるけど、そういう幼稚園に通っているようなおとなしくしっかりしていて、いわば「お行儀良く大人の指示に従える子」を目指している。そういう子になってほしくて通わせている

*子どもを見る視点が認知能力中心で、早期教育やお受験して私立・国立に通うことがステータスだと信じている。それに後れを取りたくないと思っている

*ドラえもんなどジェンダーフリーのキャラよりディズニープリンセスなどを子どもに持たせたい、ハマってほしい

 

幼児教室以外にもたくさん習い事をやらせてるけど、せっかく天真爛漫な子たちが去勢されてく様がもったいないなあと感じる。まあ、他人事なので勝手ですけども。

 

で、先日その幼児教室の発表会があった。娘の幼稚園は運動会も発表会もない(前の保育園は発表会はあった)ので年に1回くらいはそういう経験もあってもいいのかもと思ったが。

珍しく旦那は「あんな風にみんなが同じ動きをすることを見世物にしてて、うまく出来ない子に同情してしまう」ようなことを言っていた。うん、ホント。私はいつもそれを思っている。特に今回は去年までいた通園施設での発表会を思い起こし(比較するのはよくないが)ハードルがめっちゃ低くなっていて「ステージに歩いて上がれて逃げ出さずに立っているだけで素晴らしいじゃないか!」と思ってしまった。習い事だからまだ週1で済んでるけど、幼稚園や学校だと毎日の様に発表会や式典のためにしょーもない練習を延々させてるの某朝鮮みたいだよねーと帰りに話した。

あと事前に保護者の待機方法や発表が終わった後に壇上から降りるときの注意事項が配られてたのだけど、そこに書かれてたことを忠実にこなしてる保護者がほぼいなかったのは考えさせられた。私が融通きかないのは確かだけど。親はルール守らないのに子どもには受験や見栄のために必死にルール守らせるとか冷めるわー。

 

まあそれはいいとして。娘は始まる前は恥ずかしいなあと言ってたものの、終わってから一応確認で「○○教室はもう3月でおしまいでいいんだよね?」と聞いたところ「嫌だ!止めたくない、続けたい」だとさ(*_*;

理由を聞くと、

・自分一人が壇上に上がるのだと思っていたが、みんなと一緒だったから楽しかった

・また来年も発表会に出たいから続けたい

のだそうだ。

娘はほんとに人との関わりが大好きで一人の世界ではなく仲間と生きるタイプなのだなあと改めて思った。なぜ発表会が良かったのか。多分それは練習した事をやり遂げたとかみんなと一つになったとかそういうことではない。

いつもと違うドレスを着ることができて、父も母も娘だけに注目する。そして、出来不出来に関わらず終わったあとはしこたま褒めてもらえる。特にそれが大きくて、帰りに何度も「娘ちゃん偉かった?上手だった?」「私、頑張ったよね」と確認していた。

みんなと同じ動きができたとか、練習通りにできたとか一体感を覚えたとかも多少は自己肯定感アップに繋がってるかもしれない。自分で好きなこと、上手くなりたいと思っていることならそういうのもあると思うが、まだ先じゃないかな。それよりやはり結局は「私は愛されてる」「私には価値がある」と感じられる機会として大きかったのだと思う。

 

まあ退会届は出してしまったし、ドレスアップや褒められる機会は別に作ればいいかな。

思えば半年〜2年のスパンで次々習い事を変えているなあ。やり遂げることより「これはメリットより害が大きい」と思ったらヒットアンドアウェイで切り替えている。私はそれでもいいやと思っているので。

子育ての変革は他の人に任せて乗っかるだけでもいい

日々あれやこれやに問題意識を感じたり生きづらさを感じたりしてますが、やはり自分が当事者である子育てを取り巻く様々な課題は特に改善したい!世の中を良くしたい!と思うことの一つとして、かなり大きな割合を占めているなあと思う。

問題意識を持つとどうしてもマクロ的な視点に拡がっていく。最近はやはり「子育ての社会化」こそが大前提だなーと思っている。20年近く前から言われてることなのになかなか進んでるとは思えないし。

 

最近とある母親コミュニティに入会した。今流行のオンラインサロンに近い。リアルでは周りにいないタイプのいわゆる意識高い(意識高い系とも違うかな)バリキャリママたちが多い印象である。肩書もすごいし普通のママコミュニティのようなキラキラ〜ゆるふわ〜な感じではない。サクサクとやるべきことを掲げ、オンライン会議し、それぞれが手掛けてる企画案を報告したり、イベントの宣伝したり。

最近ビジネス書も多少読むようになり「自分ってホント、資本主義経済のことなーんもわかってないなー」と実感しているが、こういうバリキャリ女性の思考や行動ってのも触れる機会が今までほとんどなかった。両親ともに公務員だったし、大学の友人とは付き合いがないし、その後に出会った人は研究者や福祉職ばかり。

で、そういうバリキャリ、元バリキャリの人が子育てのことにコミットしていくのってすごくいいね〜(なんという語彙力のなさ…!)。誰だって完璧に子育てしてるわけじゃないし、バリバリ働きつつも子育てにも仕事にも乗り越えなきゃならない壁がある。時代の最先端の企業の中で活躍してきた女性達だからこそ、その素晴らしい行動力やアイディアをまだまだ遅れている日本の子育ての改革に活かしてくれるなんて頼もしいことだ。

研究者や専門職のできることってすごく限られた一部だったりする。稼ぐこと、周知すること、魅力的に見せること、繋がること、合理的に進めることなどデータや論理性以外の部分に長けているのは企業勤めの人達の方だと思う。福祉や心理の援助技術だけ学んだ人、研究だけ得意な人じゃあなかなか手が届かなかったかゆいところを掻いてくれるのがそういうワーママなのかもと思っている。

 

子育てというトピックは一部のマイノリティにのみ降りかかることではなく企業で働いてる人たちにも身近な出来事だからこそ改善の余地がある。数も圧倒的に多い。まあ、だからこそ間違った方向に行くと軌道修正も難しいけれども。

 

バリキャリじゃなかったとか社会全般の課題がどうとかいう大きな話は一旦おいといて、”じゃあ身近なところで子どもを預けあったり協力しあったりしてみよう”と考えたときに、私は友達も少ないし人見知りだし回避性人格障害引きずってるのでなかなか人(ママ友や近所の人など)と預けあうとかいうのは理想だけどできないなぁと最近思ってて。

 

そういう部分も含めて自分の強みはそこじゃないんだなとしみじみ思う今日この頃。

たぶん、ママ同士のなんちゃらとか世間一般のイメージ的なあれこれ(←なんだこのあいまいさ・・・)については私が考えることではなく得意な方々にお任せしてしまえばいいのだ。

こんなことを書いてたら昨日フェイスブックで繋がった学生時代のバイト仲間が会社立ち上げてCEOやってて、しかも「こんなサービスあったらいいなあ」と思ってたようなことをやってると分かってものすごくタイムリーだなーと思った。やっぱりそういうことができる人は学生の時から虎視眈々とそういう方向に積み上げてる人。

で、その会社がやってるサービス眺めながら思ったのは、共働きがスタンダード化しつつある今、お金さえ払えばやってくれるサービスってたくさんあるし、そういう子育てサービスにお金を払える層もたくさんいる。安さより質のいいものを求める。うちは郊外だし専業主婦も多いからそういうのにアクセスしてない家庭が多いからなかなか見えてなかったけど。

 

私は、ひたすら公的サービスやキャリア女性たちが立ち上げたサービスを使い「怖くないよ~」と人柱になっていくことかな。今年はこの際ショートステイまで手を広げてみようかと思っている。あとは泊りがけのキャンプにも送り込むし。託児サービスでいうと、ファミサポは使ってるけどベビーシッターは頼んだことないからやってみようと思ってる。

 

作るとか変えるとか考えると途方もなくて無力感を覚える。既にあるものを使うだけでもいい。そんで、私はよりマイノリティ側に目を向けられる。そこにはまだまだ足りてないことが山積みだ。

何かを成し遂げようと思うとどうしても「今のままの私では不十分」という思いに辿り着いてしまう。過去でも未来でもなく今を実感しながら生活すること。それを意識すると、結構幸せだなあと思える今日この頃である。駆り立てられるように掲げた新年の目標が、年の瀬に達成できてなかったとしても、「まあそれはそれでいい1年だった」と思えたらいいな。

 

保育士さんに100万円ずつ配って歩きたい

 

待機児童問題や幼児教育無償化の動きに合わせて「無償化より全入!」とか「保育士の給料上げたげて!」という声はTwitterでもよく聞きます。

 

 

保育士+介護士でも2兆で済むならもう年100万くらいばらまこうよ!と私は思っちゃいます。保育士の年収があと100万円でもプラスされれば、色んなことが改善すると思うのだ。少なくとも幼児教育全面無償化よりは合理的だと思うけど、国はそんなことしないだろうなーという諦めがあるのよね。

一方で保育園を利用する側も「私達に働くなということか!」「ママだって子育てしながら社会で活躍したい」といいながら、同じ女性労働力が安く買い叩かれてる保育現場で(男性もいるけど)、自分の子が保育園入れたらそれでOK!ってのは悲しい。感情はさておき、それだといつまでたっても女性の地位は上がらないし、保育の質は維持できない。すっごい飛躍するけど、保育料が安く済む(どころかこれからは無料)ということはあなたの(特に女性の)お給料がいつまでたっても上がらないことにも繋がるということ。

極端な話、子ども大っ嫌いだけど給料がいいから保育士として働くっていう人がいたとしても、今よりは専門性が上るかもしれないしね。

まあそれはさておき、保育士の報酬アップを望む声があってもなかなか国は動かないよね。せいぜい5000円ぽっちとかそんなん。自治体レベルでは少し改善が見られますが。

nlab.itmedia.co.jp

 

もーねー。本当に保育士の待遇改善したい有志の人間でお金配るのはどうかね~?全員にはいきわたらないけども、選考して「保育マイスター」の称号と100万円あげる。以前娘が通ってた保育園にはこの「保育マイスター」制度があったけど、たぶんその称号もらってもボーナスとかはないんじゃないかなぁ。あっても5万くらい?法人がやると差がでるので財団とかが主催して、個人申し込み。公開保育と各々に自分の保育のすばらしさをスピーチしてもらって各園1人くらいの人数には最低配る。そうすれば自分の専門性もあげようと思うだろうし、公開保育で透明性も維持されるし、それで引き抜きなんかがあれば、もっと条件のよい園で働けるし、引き抜かれたくないなら手当アップするだろうし。

 

私の私財じゃせいぜい数人に、しかも1回しか配れないけどクラウドファンディングでさ、本当に、口だけじゃなく保育士の給料なんとかしたいと思ってる人が課金してくれたら、やれるんじゃないかなー。

というか既にあったりするのかな?もちろん、介護職も福祉職もそういう風に善意を盾にして冷遇されることをあたりまえとせず、インセンティブを与えて待遇よくしたい!と思う今日この頃。