何者でもない自分の記録

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結末を知ってるけど切ない。というより、結末を知ってるから泣ける?

 

先日ボヘミアン・ラプソディを映画館で見たとき、泣きポイントが山のようにあったのだが、そのほとんどは「いずれ死ぬ」ってことを知ってるからなんだとおもうんだよね。実在する人だからかなー?とも思ったが、でも、「レオン」とかも何度も見て結末知ってても泣けるからなぁ。

ボヘミアン・ラプソディーの感想はFBのオンラインサロンのページに書いちゃったのだけど(本のレビューも結構載せちゃった)、文章化したものが消えちゃうのがもったいなくてやめたくてもやめれず幽霊部員化してる。月数千円の会費とどっちがもったいないだろうな・・・?

 

今頃になって板尾創路氏の板尾日記を読んでいて3巻まで来た。

板尾日記3

板尾日記3

 

 

というか、3巻にお子さんが出てくると聞いてここまで読んだ。すごく、切ない気持ちになりながら、読んだ。日記なのでネタバレ云々というものでもないし、一人目のお子さんが亡くなった子とは別に「結末」というわけでもないけど。

誰か後輩芸人のネタで、”板尾さんがマトリックスの様なグラサンにロングコート姿でベビーカーを押して街を散歩してた”って話があったが、この頃なんだろうな~。実際に散歩に連れていく描写もあったし。

 これがもし娘さんがまだ生きていて、「不倫騒動でお父さんのこと嫌いになって口聞いてくれなくなった」とか「不登校で引きこもってるらしい」とかそういう後情報を知っていたら、どんな気持ちを抱くんだろうな?とは単純に思った。

 

スピリチュアルな考えを信じている私は、人間がこの世に生まれてくる理由は「愛を知るため、感じるため」だと思っている。愛を知る方法って100人100通りあって、あえて不自由な体を選ぶことだったり、あるいは愛する人を痛めつけてしまったりすることで「愛とは何か?」の片鱗を集めていくのだと思う。早死にすると「不幸だ」という風潮があって、がんになった人が抗がん剤を拒否して早く亡くなったりすると「抗がん剤さえやっていればもっと長生きできたのに…バカな情報に振り回されて気の毒に…」と言われたりするけど、本人の好きにさせたれよ。「残された家族や友人のために長生きすべきだ!そのためには意志に背いても苦しんでも立ち向かうべきだ!」ってことでしょ?

本人が亡くなる間際に「やっぱ長生きしたかった( ;∀;)治療しとけばよかった」と思ったとして時すでに遅し状態になったとして、その人はそれを味わうために生まれてきたのだよきっと。

なんてことを言ってても、もし娘が死んだら私は自分を責めるだろうし、病気になったら延命したいとも思うかもしれない。それならそれを感じる必要があったのだ。

とはいえ、次にがんになっても私自身は抗がん剤はしないつもりだ。父が亡くなる前も、私は「治療なんてしたくなきゃしなくていいし、家に帰りたかったら退院したっていいと思うよ」「抗がん剤やっても生活の質は上らなかったでしょ?これ以上やっても副作用で命落とすよ?」と細々と言っていたが母にはヒンシュクかったし父は亡くなる数日前まで「別の抗がん剤を試してみたい」と治療に前向きだった。

 

話は逸れたけど、つまりは2年も生きられなかったとしても、板尾さんの娘さんは十分に愛を受けたのではないかと。少なくとも41年生きてきていまだに母に愛されたと感じていない私以上には愛されたから天に召されたのでは。人様のお子さんに勝手なことを言うようだが、でもそう思った方が、みんな幸せじゃないかな。

 

板尾さん=ミステリアスとか天然ってイメージあるけど。こういっちゃあなんだが、ホンマもんの変人(うちの夫)なんかに比べたら育児への関わりも人への共感もちゃんとあって良いパパに見えた。子どもを見る眼差し、家族をいたわる姿がすごく素敵に思えたし。

昔っから育児本とか好きで20代の頃からよく読んでたけど、産んだ後はあまりエッセイとかは読んでない。日記ではあるけど、男性視点のものを読んでみて「子どもを慈しむって当たり前のことのようで、誰でもできることではない」ってことを感じた。うちの夫が子に関わる姿がロボットのようだから、ね。例えば抱っこから降ろすとき米俵をどさっと置くかのように降ろしたり、娘はうまく着地できずにぶつけて泣く、みたいなこともよくあったなー。たった30分、買い物に行く間「娘見てて」って頼んで、帰ったら一人で風呂入ってて「だって寝てたから。」とかさ。子どもが寝てる横に高ーくモノ(雑誌など)を積み上げる、とかさ。

 

いや、ほんとにね。「なぜHSPの私がアスペと同居しなきゃならんのか?どうやって愛を感じるのか?この人生の意味なんなの?」っていうスピリチュアルな問いの答え、誰か教えてほしいわw