何者でもない自分の記録

ブログタイトルはちょくちょく変わります

国立大じゃなくてFラン大を無償化しようよ

たまには幼児教育ではなく高等教育について、私の偏った知見をお届けします。

今どのへんまで話が進んでいるかは適当にこのあたりから情報をピックアップ。

univ-journal.jp

 

www.sankei.com

 ま、ちゃんと読んでないけど(笑)

データ読んだりソース集めたりすると話が回りくどくなって全然UPできないと気付いたのでもう、偏見だけでこの先は進みます。

 

 私の中で「大学進学するのが大変な人」で真っ先に思い浮かぶのが社会的養護下にある子どもたちです。虐待や経済的事情などで親の元で暮らすことができず児童養護施設や里親の元で暮らす児童のことです。だからここでも全員を無償化しろ、ということではなく所得制限などはあってもいいという前提です。

 

 私の尊敬する堀江貴文さんやちきりんさんなど多くの方が「やりたいことないのに大学行く必要はない」と言っていて、その影響で私も娘は大学に行かなくてもいいかもなと思うようになりました。これから先はオンラインサロンなどで学んだりネットワーク作った方が有益かもと思うこともあります。

 

 ですが、生活保護世帯の子どもや社会的養護下の子に関しては別です。「やりたいことがはっきりしてるから大学行きたくない」という子まで行く必要はないですが、やりたいことがない、くらいの子は行った方がいいです。なぜならその「やりたいことがない」と思っているのは「思わされている」からで本当は「やりたいことがある」かもしれないからです。「思わされている」というか、過去の経験から「私には大学など行く価値がない」と思いこまされてきた、という方がよいかもしれません。

 

 

なんで国立大じゃなくFランなのか?

「貧しいけど成績優秀」、つまりお金がないことだけが学習機会を奪ってると思われる子どもを、一流に育てることが目的ならば国立大無償化はいいのかもしれません。

ですが、貧困の連鎖を断ち切るのが目的ならば、一番底辺になる可能性のある子たちの底上げをしてあげる必要があるのではないでしょうか?

偏差値50以下の子を想定してみてください。

適当にググってベネッセとかの偏差値ランキングで国立と私立を比較してみるとよくわかります。

 国立大行けるレベルの子は高校でも授業についていくことができている、要するに落ちこぼれていない子であると考えられます。それでも貧困で国立大行くとなると浪人できないわけですから必ず合格できるように2ランクくらい偏差値の低い大学を狙わなければなりません。塾など当然行けません(厳密には今は補助が出たりもする)。となると偏差値50でも実質受けられる大学は沖縄まで行かないとないです。

 それでも偏差値50(まあ人並み、平均?)以上の子なら仮に高卒でもその後の社会で挽回できます。「普通」のことができていれば仕事でもパワハラなどに遭遇しにくいし、ある程度自己肯定感が高いと思われるからです。もちろん、「生活保護を受けている」ことや「施設で暮らしている」ことで「自分は人と違う」という気持ちはあるかもしれませんが、少なくとも学校の先生に「おちこぼれ」とはみなされないでしょう。むしろ「施設暮らしなのに頑張ってるな」なんて言われることもあるかもしれません。

 

 一方で「学習が非常に苦手」な子はどうでしょう。まず家庭で暮らしていた頃から学校に行かせてもらえていなかった、勉強するとかしないとかに関心を持ってもらえなかった、勉強が苦手だったり普通と違うことで暴力を振るわれていた子、家にも学校にも居場所がなく不良仲間の家を転々として過ごしてきた、など様々な状況が想像できます。事実、施設で暮らす子どもたちの中には中高生でも小学校レベルの学習から始めないと理解できない子も少なくはないです。

 そういった勉強そのものに馴染みがない子どもでも今のFラン大学なら合格できるのでは?と思います。よく「名前さえ書けたら合格できる」なんて話を聞きますが、あながち嘘ではないと思いますよ。

とはいえ、このような子どもたちはそれまでの生育歴から「自分は頭が悪いダメ人間であり、大学など行く価値のない人間だ」と思っていたり、仮に意欲はあって進学を進められても私立しか選択肢がないのならあきらめるしかない、就職するしかないのが現状です。お金を出してくれる親はいませんし奨学金なども基本は成績優秀だったりまじめに通うであろうことが想定されないともらえない、借りられないわけですから尻込みするか、打ち切られてドロップアウト、というのも考えられます。

 

でももし、Fラン私立でも学費がタダになったらそういう子たちに挽回するチャンスが生まれます。

今は大学さえ卒業すれば食っていける、という時代ではありません。そういう意味では大学で勉強したらすぐさま貧困から脱して連鎖を断ち切れる、というわけではないでしょう。

 しかし大学において教員や多様な学生と繋がることで、

・お金の使い方

・家族の関係

・働き方

・人への頼り方

などが多様であることを学べます。4年間猶予があることで、自分はどんな仕事に向いているのか考える時間が生まれ、就職先をゆっくり考えることができます(施設出身者は1年以内の離職率が非常に高い)。そういうことを通して自己肯定感をコツコツと積み上げていくことができるのでは?と思います。

 貧困に陥っていると社会資源にアクセスする力が弱いかったり人間関係が乏しくなるという特徴があります。特に生活保護世帯で育った世帯は将来生活保護を利用する可能性が高いなど、貧困の連鎖も懸念されています(施設に入所する理由となる虐待や親のアルコール依存症なども貧困が原因の場合もある)。

 だから大学の無償化するならば、どんなに頑張っても現役だとFラン私立しか合格できない子に学費を出すことで将来貧困から脱する子を増やすことができるんじゃないか?と考えています。そういう子にとってこそ「大卒」であることって意味がある気がします。

 

時間がないのでここでおしまいです。