子どもに我慢させないために、大人は我慢が必要という矛盾
昨日は行きつけの親子カフェにひと月ぶりくらいに行った。
娘は滑り台などがあるプレイエリアには行かずポケモンの図鑑を書棚から引っ張り出してきて「これなんて読むのー?」といちいち聞いてくるので(まだカタカナが読めない)
「これじゃあお金払って来る意味ないじゃん」と思いながら過ごす。親子カフェは時間制なので30分400円とか取られるわけでせっかくならスタッフさんやその場にいる子に遊んでもらって私はゆっくり仕事か読書をしたいのですが。
30分くらいして同じくらいの年齢の子が来店すると、図鑑をほっぽりだしてプレイエリアにダッシュする娘。共感性が高く人と遊ぶのが大好きなので初対面の子ともよく仲良くなっている。そういうところは伸ばしていけるといいなと思う。
しかし子どもが二人よれば当然もめごとが起きる。娘が先に確保していたままごとのおもちゃを遊んでたお友達にとられた模様。暴力がなければなるべく子ども同士のやり取りには介入したくないのですが、相手方はママが出てきて「あなたの方がお姉さんなんだから返しなさい!」とかやってその子は嫌だと泣いて・・・娘も珍しく「私が先に使ってた」と引かず膠着状態に。
我慢やめますか?それとも人間やめますか?
— ですこ (@bearfield228) December 15, 2018
娘が我慢した時に褒めるのはもうやめようと思った
ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB | 文化放送 | 2018/12/15/土 | 13:00-14:55 #ニュースクラブ https://t.co/RCm5Sl9ByY
この前ちょうど大好きなちきりんさんがゲストのラジオで、日本人は我慢を美徳として過ごしてきたからひどいことされても怒らずにじっと耐えている、もう我慢やめますか?それとも人間やめますか?くらいのコピーライトを打って我慢をしない教育をした方がよい、という旨のお話をされていて上記ツイートに繋がった。
娘はどちらかというと我慢強いというか、私が言いくるめれば身を引くタイプなのだが、大人になった時に私のように自己主張できない人間にしてしまわないためにはぐっとこらえる必要があるのだ。矛盾するようだけど子どもを我慢させないためには大人はあれこれ手出し口出ししたい気持ちや「相手にひどい親だと思われるかもしれない」という人の目を気にすることを我慢しなければならないと思うのだった。
結局どうしたかというと、注目してた料理が届いたので「ご飯にする?」ときいたけど取り返すまで食べない、というのでじゃあどうする?相手の子になんていう?相手の子が返してくれるまで待つ?とかそういうことを聞いたら 返してもらうまで待つというので(「ママなんとかして!」とかは言われなかった)わかった、じゃあそうして。ママはお席で待ってるね~と。
結局相手の子が折れて返してくれたんだけど、それを(相手の子を)私が褒めたら娘も「いいよ貸してあげる」とすぐに貸していた。。。娘は私に褒められたい欲求が強いので相手の子が褒められたのを見て「貸してあげたらママが褒めてくれる」と悟ったのだ。これはちょっと失敗。娘を我慢させないってだけでなく相手の我慢も褒めない、ってことも必要らしい。。。
私はEテレのすくすく子育てを録画してよく見ている。娘が大きくなってきて自分の子育てに応用できるテーマは減ったけど、コメンテーターの先生方(医師、大学教員、保育園長など)の見解が秀逸なので、人へのアドバイスの仕方や人の悩みの受け止め方などの参考にもなるので(あと子どもが出ている番組は娘もくぎ付けになるので)毎回録画している。もう2年前に放送された下記の回が波紋を呼んだことを昨日の出来事で思い出した。
今日のすくすく子育てにて。子供がおもちゃの取り合いで、貸して、いいよ、が出来ないとの悩み相談。井桁さんの答え「今、いいよと言えてる子供は将来言えなくなる。貸してと言われてるのは恐喝であり、それに自分の思いを無視しておもちゃを差し出すのは筋違い」と。これ、幼稚園でも先月言われた。
— かな (@pinopino00) 2016年1月9日
こんな感想が発掘されました。
井桁先生は必ずしも「かして」に「いいよ」と言えなくてもいいということをおっしゃっている。幼児番組のいないいないばあやこどもちゃれんじのしまじろう教材などでは「かして」「いいよ」が推奨されているため児童館などに行っても勝手におもちゃを取るのではなく「貸して」を言う、言われた方は「いいよ」と渡す、というある種のテンプレ的お約束を否定した。しかし大多数の親は「「いいよ」と貸してあげなくてもいいということはわかった。だがみんながみんなこの番組を見ているわけでもないし明日から貸さないっていうのは相手の子のママにどう思われるか不安」という思いを抱える。特に未就園児の場合必ず親が付いて回るからね。
そんなことも見越して大豆生田先生は
実際には「おもちゃを貸さないなんて、どんなしつけをしているんだ」と他のママに思われることがあると思います。そのようなときは、親同士で「申し訳ない」という気持ちを伝えるようにしてください。親同士の関係もとても大切です。
とおっしゃっていた。
これもすごく大事な視点だと思うのだ。子どもにとって本当に大切なものが阻害されてるとしたら、それは多くの場合親の世間体を気にする姿勢なのだということがよくわかる。
しかし、気づくとこまではできても角を立てずに見守るって実際ものすごく難しいのだ。
「ごめんなさいね~うちの子わがままで言い出したら聞かないから」
「昨日すくすく子育てでかさなくていいって言ってたからそうすることにしたんです~」
・・・
私はコミュ力が低いのでどう言えば親同士の関係を良好に保てるかがわかりません。
だからもう、角を立てるしかないのかもしれません。
先日ママ友会でAちゃんがBちゃんの持ち物を取った。Aちゃんのママはたまたまそこにいなかった。BちゃんはAちゃんのものとわかっているけど欲しくて取った。Aちゃんはその場にいたBちゃんパパに「ねえ!Bちゃんが私の大事な〇〇を取って返してくれないの。これをなくすとおじいちゃんに怒られるの。だから早くBちゃんのこと叱ってよ!」と言っていて思わず吹き出してしまった。Aちゃんママがどんな人かは知ってるが、私が思うにママの影響ではなく幼稚園の影響だ。AちゃんとBちゃんは同じ幼稚園でいつも同じようなケンカをしているらしいが、幼稚園ではいつも保育者が介入して取った子を叱っているのだろうし、それも良かれと思ってというよりは保護者のメンツを保つためなのだと思う。ちなみに取り返したAちゃんはその後別の子に配っていたのでおじいちゃんに叱られるという話も方便かもしれないし、Bちゃんもくれないからほしかっただけでそのものが凄く必要だったわけでもない。
娘の幼稚園ではよっぽどの暴力などがなるべくそういう場面は保育者が見守りながら子ども同士で解決するようにしてくれている。だからこそ前はしぶしぶ貸したくないものも我慢して貸していた娘が最近は「今は貸したくない」と言えるようになったのだと思う。
何が言いたいかというと、保育者にしても保護者にしても「子育ち」に大事なことよりも自分の体裁の方が優先されるところをなんとかしないとやはりこれからの時代を生きる力は身につかないし、そのためにはもう角をがんがんに立てていくしかないのかもしれない。怖いけどね。
親子カフェの話に戻るが、娘とお友達はその後ヒーローか何かになりきって遊んだ。
「私がいちばん強い!」というお友達。それに対して
「私はにばん!」という。そのお友達は
「私『だけが』いちばん!」といって二番目の存在すら認めたくない様子。
勝気な子ってそういうもので、だからこそ人に負けないように努力するようになるのかもしれない。
一方娘はにばんめでもいい、と言える子だ。ひとつ年上のその子の方がお姉さんだということもわかった振舞いをしていて4歳にして年功序列をわきまえている(笑)
ホントはすごく負けず嫌いなのに忖度してしまう面がある。
遺伝なのか環境なのか私と本当によく似てるなと思う部分が多くて将来の生きづらさを心配してしまう。でもそれすらもやはり課題の分離ができていない証拠かもしれない。私に似ていようとも娘は娘。苦労するかもしれないししないかもしれない。あるがままに認めるって難しいね。