何者でもない自分の記録

ブログタイトルはちょくちょく変わります

ちきりん氏、コイケダハヤト氏電子書籍レビュー

 電子書籍は読書メーター以外で。オンラインサロン(Facebook)だと流れて行って行方不明になるのでブログが一番いいかも?ってことで読み終わった2冊のレビュー。

「Chikirinの日記」の育て方

「Chikirinの日記」の育て方

 

 

特に気に入ったところのまとめ(引用)

・学歴や職歴、年齢や立場など、書き手個人に関する情報は、「私が考えたこと」(=メッセージ)を伝えるために役立たないばかりか、むしろ邪魔になります。
・「誰も読まないという前提で紙に日記を書き続ける」ことより、「誰が読んでも不思議ではないという前提で、ネット上に日記を公開する」ことのほうが、リスクが少ないとさえ感じました。"
・時々「ちきりんさんは、ブログネタをどうやって見つけているのですか?」と問われるのですが、私の場合は「日記を書くためにネタを探す」という発想はありません。

・「オンラインでもオフラインでも同じように言動する」という一貫性
ネット上で活動する人には誰でも、180度異なる二つの選択肢が与えられているのです。それは、「有名人をネタにして自分の人気を上げる。その代り、その人とリアルな関係を持つことは諦める」という道と、「肯定的な思いを積極的に伝えることで、リアルに関わりが持てるチャンスを高める」という道です。 ここでは想像しやすいように“有名人”と書きましたが、実際には相手が有名だろうと無名だろうと(フォロアーの数やブログ読者の数にも)関わらず、同じことが起こります。

引用ここまで。


一時的な金儲けやアクセス稼ぎに振り回されるのではなくぶれない自分の軸を持ってコツコツ続けること。遠回りなように見えても結果として自己実現には近道なのだとよくわかった。お金を儲けることや承認欲求を満たすことは結果であり目的ではない(あ、これはちきりんさんが言ってたのではなく何かをネットで発信すること全般の話)。
TwitterやFacebookを始めて(あとNewspicksとかも)どこに勤めてるか、どんな職種職階か、今何歳で子どもが何人いるか、どんな資格を持っているか、等々でいかにプロフィールが飾られてるか。それらにアイデンティティや愛着がなかったり自分を表すのに的確ではなかったりしてどこまで開示するか?ってことは常に悩んでいる。例えば乳がんでさえ、なったことは事実だが今の自分を構成する割合としては小さい。ネット上の乳がんのコミュニティにも付き合いで参加したことあるが、居場所とは思えなかった。

顔も本名も過去の職歴も公式には非公開のちきりんさんのスタンスは私にとって大きな励みになる。もちろん真似してなれるわけではないが、目先の利益に捕らわれずに肩書は手放して自分の発信する言葉によって自分がどんな人間かを形作っていこうと思う。そういいつつもこのブログ、アラフォーとか母とか入ってるけどねー(^.^;

 

 

まだイケハヤで消耗してるの?専門を備えるだけで人生はうまくいく (源闘舎新書)

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 本家のイケダハヤト氏を知ったのは最近のことである。Twitterにいると信者にもアンチにもお目にかかる。
著者はこのイケダハヤト氏をパロディとして題材にしている。称賛なのかはたまた批判なのか?
イケハヤ氏をよく知るには手っ取り早いかなと手に取ったが(kindle unlimitedの対象だった)、
煽っているのは序文と末尾のみで、それもイケハヤ氏を正確に表しているのかどうかの判断にはつながらなかった。よく知っている人ならピンと来るのかもしれない。
本文の内容についてはわりとカッチリと専門家起業についてまとめられていて至極正攻法。ま、起業してないからただの印象ですが。これからはいくつかの専門性を掛け合わせることで100万人に一人を目指すのがよい、なんてことも言われてるので(落合陽一氏や藤原和博氏など)方向性は同じではないかな。
そういう意味では起業を目指す、すでにしている人にとってはイケハヤ氏のオンラインサロンに入るより場合によっては有益な内容かもしれない(入ったことないけど)。unlimitedなら実質無料だし。
つまりこの著者も含めてインフルエンサーに振り回されず、
自分の強みで勝負すればそっちの方が実は成功への近道かもしれないと思った次第でございます。