何者でもない自分の記録

ブログタイトルはちょくちょく変わります

せやろがいおじさんに子育て夫育ての肝を学ぶ

 最初に断っておくと、せやろがいおじさんが父親として子育てしてる話とか、その子育てについて動画で言及してるとか、そういう内容ではありませんのであしからず。

でも、この方の動画を見て「うわ~これコミュニケーションのツボ抑えてるわ~。めっちゃお手本になるじゃん!」と感動したので、主に子どもや夫とのコミュニケーションに役立つんじゃないか?と思ったのでブログで解説したいと思いました。 

正直言って子育て夫育てに応用するとなると結構絵空事も多いです。私もやれっていわれたらできないことのほうが多いです。でも、ちまたで話題のアドラー心理学の勇気づけだったり、療育だったりペアレントトレーニングだったりそういうところでも取り入れられている手法と似ていると感じました。

 

私はTwitterで流れてきた記事でこのせやろがいおじさんを初めて知りました。

 

ご存じない方はまずは本家のYouTubeをご覧くださいね~


りゅうちぇるのタトゥーについて思う事を沖縄の海に叫んだ【せやろがいおじさん】

 

今回例題にする

『松本人志さんの「死んだら負け」発言に一言【せやろがいおじさん 】』

がなぜか貼れなかったので、ちょうどよく

こちらのブログの方が↓

パオパオだより せやろがいおじさん、松本人志の「死んだら負け」に対する叫び全文

文字起こししてらしたのでちょっとお借りしますた。

全文ではなく部分的に引用して説明しますね。

 

一番最初はこの動画で言いたい「結論」をまず端的にまとめています。

とにかく「主訴」がなんなのかをまずはっきりさせています。

これはまあ子育てではそこまで重要ではないかもしれませんがスピーチとしてはすばらしいと思います。

 

”松本人志さんと
せやろがいおじさん
芸人として
天と地どころか
天とマントルぐらいの
差あるけど
言いたいことがあるから
マントル在住の
地底人の戯言
聞いたって!”

 この部分に関しては、芸人界ではそれこそ天と地ほどの差がある立場であることからかなりへりくだっていますが、夫や子ども相手ならば遜るより対等であることを示した方がいいかもしれません。子ども相手だとどうしても上から目線になりがちですが、対等な方が長い目で見るとこちらのメッセージは伝わります。意外と子どもって「この人は自分を支配しようとしてる」ということに敏感です。

 例えば、「またおもちゃちらかして~(#`Д´)ちゃんと片付けなさい!」と叱るより「ねぇねぇ○○ちゃん、ここにおもちゃが落ちてるとねママ踏んづけちゃってイタイイタイ!なんだ。片付けてくれるとすごーく助かるなあ」と接する、なんてことは効果的です。夫に「ボーっと見てないでオムツ替えでも手伝いなさいよ!?」というより「ちょっと洗濯物取り込みたいから協力してほしいんだけど、おむつ替えとどっちなら今できる?」と聞く(これは「やらない」という選択肢を塞ぐのにも有効かも。)命令するのではなく、依頼する、お願いするという姿勢ですかね。

 

”いや松本さんの
言いたい事は分かる!
死んだら皆んな
私に優しく
してくれるんや
じゃあもう
いっそのこと
死んじゃおうかな
ってなる風潮を 
どうにか
しようぜ!
ってことなんやな!?

これ自体は
大賛成!”

↑ここ!ここがとにかく素晴らしい!

「主訴」で確認したように言いたいことは提案、それも松本人志の発言を批判することを通しての提案です。ですが!まずは相手を承認しています。

 物議をかもしている「死んだら負け」の文言そのものに着目するのではなく、「何を意図しての発言だったか?」の部分を汲み取って認めているわけです。行間を読んで、そこを褒めているとも言えます。炎上すると現れるコメンテーターみたいな人たちはなかなかこれができていません。今回の件でも反論するコメントいっぱいいましたが、真っ向勝負して「それ違う!」っていうから出したツノ引っ込められない(発言を撤回しない)わけです。

 ただこの場合は、「ワイドナショー」があり、松本さんの反論もあったから推測できたわけですが、特に子どものしたことを意図をくみ取るって難しいですからかなりの観察眼が必要となりますし、「どうして〇〇したの?」「なぜこんな発言をしたの?」と聞くにしてもまずは前述のように対等であることをアピールしてないと「どうせわかってくれないじゃん」と心を閉ざすことにもつながってしまいます。共感、受容が大事!

 たとえば、子どもが万引きで捕まったとしよう。「なんで万引きなんかしたのよ!?」と理由聞いてるようで既に批判口調だったり「今度万引きしたら追い出すからね!」と罰を与えたり「欲しいものあるならお金ちゃんとあげるから万引きはやめな」等甘やかしたりお金で解決しようとしても、おそらく問題は解決しません。

 なぜ万引きしたのか?

・スリルを味わいたかった

・おなかすいてて衝動的に

・友達に命令されて断れず

・ムシャクシャしていてストレスを解消したかった

・お母さんに自分に関心を持ってほしかった

等々いろんな理由が考えられます。万引きそのものは否定してもいいけど、この↑の部分については共感・受容することができるんです。その上で解決法を考えたほうが合理的建設的です。

 

”ただ!
言葉尻捕まえるようで
申し訳ないけど
やっぱり
負けという言葉には
亡くなった方を
罰したり
ジャッジ
したりする
ニュアンスが
こもってるから
そこに
引っ張られて
本来伝えたい
意味が
伝わって無いなぁ
というのが
勿体無いなあ
と思うんや!

それにやっぱ
限界まで
追い込まれたら
勝ち負けっていう
価値観って
やっぱ
弱い
と思うねん”

そのやり方だと伝えたいことが伝わらない、意図したことが誤解されて、結果損してますよ、あなたに不利益があることを心配しているという姿勢を示していることで、ただの正論や正義感、ルールの押し付けではなく、相手を尊敬しているからこその意見であることが窺えます。

例えば産後すぐの大変な時期に夫が無断で朝帰りした。

・先輩に飲みに誘われてしかたなく

・連絡したら怒られるだろうと思って言えなくて

・ストレスたまってたから発散したくて

などなどの理由があったとします。前段のように、「誘われたら断れないこともあるよね」「仕事大変だろうからストレスたまるのもわかるよ」「連絡したら『帰ってこい!』って怒られるかもしれないって思ったんだよね。そう思わせるくらい私が気が立ってたってことについては申し訳ないと思うよ」等々、部分的に受容し、その上で「でも連絡がないと、もしかしたら事故にあったのかも知れないと不安になるし、もし赤ちゃんに何かあって病院に行くってなっても連絡つかなかったらあなたも困るよね?結局こうやって話し合わなきゃならないんだから私もあなたも余計ストレスがたまるだけだよね?事前に相談してくれたらじゃあどうやってお互いストレス解消の時間を確保できるか話し合えると思うんだ」と感情的でなく伝えたらコミュニケーションが深まると思うんです。実際にはなかなかそうなれないですけどねえ。

 

「勝ち負け」のところは私もずーっとモヤモヤしていたんです。ここの部分は、相手に対してではなくむしろ第三者に共感している部分です。多くの人はこの部分に引っかかりを感じても炎上するとそこが置き去りになってバッシングする方も明後日の方向に行き、結局なんだかさっぱりしないなー。。。ってところにカタルシスをもたらしてくれました。第三者の意見を代弁してくれた、ととらえられます。

 

”例えば
4の地固め
ガッツリ 
決まってて
痛い痛い
痛ァ~い!
痛い痛い
痛ア~い!
って言ってる
人の隣で
おい!
ギブしたら
負けだぞ~
おい!
ギブしたら
負けだぞ~
って言ってる
セコンド
ポンコツやん!?
そんなん
言われても
いや
負けでええから
早く楽に
ならせて
って思うたり
やと思うねん

おい!
いっかい体
反転させて!
相手の体勢を
戻そうとした
反動を
活かして
ロープまで
逃げろ!!
って具体的な
逃げ方のアドバイスした方が
絶対
役立つ
と思わん!?”

この具体例をおもしろおかしく挙げる、という部分は芸人さんならではの特技かもしれません。批判ってするだけして「で、どうすればいいの?」っていう部分が語られず今度は批判した方がバッシング対象になるなんてこともよくあります。それをこれだけ臨場感溢れるわかりやすい例えをすることで、批判された当人も第三者も納得できる。

これは例えば児童館などで他の子の使っているおもちゃをほしくてぶんどってしまった子どもに「取っちゃダメでしょ!」って叱ったり「これはほかの子が使ってるからあっちのおもちゃで遊んだら?」と誘導するのではなく「他の子が遊んでるおもちゃを使いたいときは『貸して』って言ってみたらどうかな。ママと一緒に練習してみようか」

などということで子どもも「人が使ってるものを使いたいときは『貸して』といえばよい」と学ぶわけです。「取っちゃダメ!」って子どもに叱るパパに「今とっちゃ駄目って言ったのはどういう意図だったの?もし社会のルールを学ばせたいんだったら~すると子どもにも伝わる思うんだけどどう思う?」って提案するのもありでしょう。

 

 

ここから先の部分は応用がきく、というより私の主張とリンクするので単に気に入っているというだけになりますがお付き合いください。

 

”メディアでは
亡くなった方を
憐れむ報道や
追い込んだ側を
バッシングする報道に
重きを置きがちや!
確かに
自殺した方の死は
悼まれるべきやし
追い込んだ側の
社会的責任は
追及されるべき
やと思う!

けど
行政とかNPOが
こんな感じの
相談窓口設けてて
こんな感じで
支援・対応
してくれるよ~て
アナウンスして
逃げ方を
お知らせ
した方が
メディアとして
より良い役割を
果たせると
ちゃうかな!?

えっ?
そんなところに
相談したって
何の解決にも
なるわけないじゃん

お前
めっっちゃ
ええこと
言うやん?
そういう意見が出たら
じゃあうどういう
逃げ場にしていったら
みたいな感じで
建設的な議論に
発展して
逃げ場の
質が高まったり
逃げ場の
数が増えたり
すると思うんや!

結局のところ
死んだら負けは
どこまで
行っても
具体性のない
精神論で
仕組みを変える
議論には
発展せえへん
と思う!”

↑この部分はもはや松本さん一人に対する主張ではなく、この問題そのものについて第三者も他人じゃないよ、できることがあるんだよ、ということを伝えているのですが。

私が敬愛するある講演家さんが言っていたことで、「話すことはプレゼントであり、持って帰れるサイズのプレゼントのスピーチだと違いが生まれる」という主旨のことを話されていたことがあります。

この例でいうならば、「いじめた相手を徹底的に調べ上げろ!」「法律を変えるように国に働きかけろ!」なんてことを主張してもそれを実行できるメディアは少ないでしょう。ですが「これやるといいよ」って提案してることが具体的でしかも実行しやすいサイズになってると思いません?しかもこれ、メディアだけでなくSNS上でもできることだし、なんなら学校の職員会議でも近所のおばちゃんたちの井戸端会議でも逃げ場について建設的な議論ができるきっかけになる可能性もある。第三者でいたい人が当事者になるメリットがすごくわかりやすいんです!

 

”まぁ結局
何が言いたい
かと言うと!!
死んだら負け
より
逃げるが勝ち
の方が
のええんとちゃうか~

せやろがい”

そうそう。世間では「逃げる」って悪いことのように捉えられてるけど「勝ち負け」にこだわるよりもよっぽど逃げる方が合理的なこともあると私も思うんです。自殺したい人にもこっちの方がまだ伝わる気がします。

 

 マザーテレサの名言で

 

 

『反戦集会には行かないけど、
平和集会
には行くわ』

というのがあります。

 ポジティブな方にフォーカスしてエネルギーを注ぐこと。

 

私は誰も傷つかずwin-winになるようなことを自己主張していきたいな~という野望があります。でも自己主張しつつ誰にでも受け入れてもらうってかなり難しいんです。当たり障りないことだとふわっとしすぎて心に響かないし、かといって過激な言動は誰かを傷つけがち。でも「自分はこういうのは嫌いだ」とか「僕もこれはおかしいと思ってる」って自己主張しつつもそれが誰をも傷つけない。その上でちょっとした笑いと救いをお届けする。それを体言しているせやろがいおじさん、尊敬してます。