何者でもない自分の記録

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嫌われてもいいということ

嫌われる勇気とかその他アドラー心理学やら自己啓発本何冊も読んで「そうだよねー、人の目は気にしなくていいんだよね」とわかっちゃいても、気づくとよく思われたい行動してたり。

hspでもあるので「こんなこと頼んだらすごく迷惑かかっちゃうよねー」も多々ある。

 

昨日、鏡の法則の野口さんのメルマガ読んでて「人に嫌われるのは悪いことだ」的な思い込みがあるということに気づきました。いわゆるブロックというやつですね。

なんかホント、バーズ5回目以降こういうのがスルッと入ってくるようになりました。

 

さっきポストに学会誌が入っててちょっと前なら「私もいずれ投稿論文出さないとなー。でも本当に書きたいこと、世に広めていきたいことは受け入れられないから無難なテーマ探さないとなー」と考えていました。

 

でもさっき、思ったんです。

既存の枠組みに当てはめたらそりゃスピリチュアルなことは受け入れてもらえなくて当然だ。科学なんだから。スピリチュアルも科学だって議論は置いといてさ。

 

そこで勝負しなきゃ認められないっていう思い込みがはずれたんですよね。

学術的な場で成功する、という囚われから降りると、まあ楽チン。指導教授のご機嫌伺わなきゃとか、兄弟子姉弟子の顔立てなきゃとか、フィールドが違えば気にしなくていいわけです。

 

それでもスピリチュアル的に世のため人のためになることで、自分がこれだと思うことを発信していけば、必要な富、豊かさはやってくるのだという確信があります。その手法は厳選する必要がありますが。

むしろ前者より後者の方が無限大。世間には受け入れられないかもしれませんが、必要な人に届けばいいのだと思います。