何者でもない自分の記録

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いい人になろとするのをやめよう

霊性を高めるためにいい人になろうとしていました。悪い言葉を使わない、悪口を言わない、人にやさしくする、社会貢献をするなどなど…で、できたかというとできてない!だから罪悪感を抱くことが多い。罪悪感は一番波動が低いんだっけ。昨日の記事にもあるように無難なことしか言えない、できない。人との関係に悩む。孤独感。


霊性を高める」という大義名分を盾に、「人に攻撃されたくない、間違いを指摘されたくない、論破されたくない」「偉い人、立派な人、博愛主義者だと思われたい」というエゴだったんだと気づきました。あらゆる人に好かれる、全員の役に立つというのは無理。それこそ自意識過剰だ。

あれだけ嫌われる勇気やらなんやら読んできたのにまだ覚悟が足りていなかった。正しさを主張するのも必要ないし、あえて傷つけるために何かしたのでなければ、自分のため、自分が正義(もっと適切な表現模索中)だとおもうことのためにどんどん嫌われることしなきゃ!ってくらいの気持ちでいかないと、ずっと探し続けてる「自分らしさ」なんて確立できないと思う。両極端で人に理解されないことをやりたい、反面、人々から浮きたくない、なぜ自分だけ人と違うんだろう?という悩み、その答えがあえて嫌われることから見つかるかもしれない。