何者でもない自分の記録

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感謝したい人が親じゃなくたっていい

二分の一成人式とか、生い立ちの授業で赤ちゃんの頃の写真持ってこいとか、親への感謝の手紙とか。

そういうの、ホントに止めたらいいのにと思う。

いや、それをやる教師が意図をしっかり理解してて、背景を問わず子どもたちの自己肯定感を上げられるような中身にできるならやる意味はあるだろうけど、そこまで中身を精査して取り組める状況にあるとは思えないのだよね。いや教育現場のこと知らずに適当に言ってるけどもさ。

というか、施設や里親の元で暮らす子や虐待ネグレクト状態にある子どもを傷つける恐れがあるから配慮が必要!という批判に対して、この授業をやるべき正当な理由を答えてる教育者や、「やめました」「配慮しました」という例を聞いたことがないのだが、どこかに行けばそういう話を聞けるのかしら?

知らなかったが、生い立ちの授業というやつは、低学年の学習指導要領にあるためほぼ必須らしい。2分の1成人式の方は必須ではないらしいが、wikiにも批評は載ってるくらい。

ちょっと想像力を働かせれば、今のご時世多様な背景を持つ家庭があることがわかるのに、そこまでして国がこのイベント?授業?を推し進める理由はなんなんでしょうねぇ。

 

運動会の組体操なんかもそうだけど、親を感動させるために子どもを犠牲にするのやめてったほうがいいと私は思ってるし、そういう声もちらほら聞く。それこそ感動ポルノですがな。

 

 

施設や里親の元で暮らす子を対象としたライフストーリーワークの本

今から学ぼう!  ライフストーリーワーク 施設や里親宅で暮らす子どもたちと行う実践マニュアル

今から学ぼう! ライフストーリーワーク 施設や里親宅で暮らす子どもたちと行う実践マニュアル

 

 学校の授業向けじゃないけど、こういうの参考になるけどね。

 

せめて「親に感謝」じゃなくて、「親以外で今まで世話になった人に感謝」にしたらどうかしら?ひいおばあちゃんでも、塾の先生でも、隣の家のおばちゃんでも新聞配達の兄ちゃんでもだれでもいい。子どもは親だけの力で育っているのではなく、また、法的な親だけが親なのではなく、たくさんの人に支えられながら育っていると気付くことが、親にも子にも大事だと思う。だし、親以外に感謝できる人の数が多ければ多い程、その子は幸せである可能性が高い気がしてる。

問題は、全体的に親以外との関係が今の時代、限られている子が多いこと、あとハイリスク(といっていいのかわからんが)家庭の子はネットワークが全くなくて、誰のサポートも受けられていないことが想定されること。せめてこれを取り扱う担任がそれを担っていればいいのだけど。

 

自分の頃はそんなのなかったが、もしあったとしてどんな気持ちだったか?社会的養護下で暮らしていたわけでもないし、虐待も受けていないけれども、まあ参観日に発表するならさしていい思い出でもない出来事を取り上げて「こんなん言っとけば親は喜ぶんでしょ?」っていう忖度をしただろうし、それで「生まれてきてよかったな~」なんて思えなかっただろう。当時の担任を思い浮かべても私がそう思えるように深められるとは思えないし。

 

で、現在進行形で親(というか母親)に感謝したくない私であるが。実は2年くらい前にとあるスピリチャルセミナーで『両親それぞれに50個づつ感謝していることを書いて、送る』というワークをやらされた。

親を許せない、「私は愛されなかった」という気持ちが潜在意識にあると、人は幸せになれない。どうしても「私には成功する(愛される)資格がない」という洗脳状態から抜けきれない。

ファシリテーターが意図していたことは理解できるのだけれどそれでも辛かったし(ボロボロ泣きながらやった)、本当に複雑な家庭の人は結局送れなかったようだ。やっぱり、まずは恨みつらみ怒りを吐き出したり、縁を切った上でやる、くらいでないと危ない。大人でこれだから子どもはもっとトラウマものだと思う。

 

でも、ここ数日この「母(及び夫)に愛されていない」という気持ちと決別しようという気持ちになっている。いうほど毒親ではないとか、ものすごく都合よく解釈すると愛されてるとも言える、とかそういう面もなきにしもあらずだが。

もう「この人は私のことを本当に愛してないんだ・・・」という想いに捉われるのに疲れたし、そう思って深追いしたところでいいことが何一つないのだ。

それなら嘘の記憶を作ってでも「私ってば十分に愛されたんじゃん〜(≧▽≦)」って暮らした方がなんかいいものを掴めそうな気がありありなんだ。

事実ではなく「記憶(思い込み)」が大事だと。

親じゃなくても旦那でも彼氏でも親友でもありのままの自分を受け入れてもらったかどうか、いや、事実はそうでなくても、自分は受け入れてもらってると捉えてるかどうか。

とりあえず、しばらくの間「私は愛されてるのだ!」と思いながらすごしてみようかな。それでも感じられないなら、自分で自分を大事大事するしかないけどね