何者でもない自分の記録

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子育ての変革は他の人に任せて乗っかるだけでもいい

日々あれやこれやに問題意識を感じたり生きづらさを感じたりしてますが、やはり自分が当事者である子育てを取り巻く様々な課題は特に改善したい!世の中を良くしたい!と思うことの一つとして、かなり大きな割合を占めているなあと思う。

問題意識を持つとどうしてもマクロ的な視点に拡がっていく。最近はやはり「子育ての社会化」こそが大前提だなーと思っている。20年近く前から言われてることなのになかなか進んでるとは思えないし。

 

最近とある母親コミュニティに入会した。今流行のオンラインサロンに近い。リアルでは周りにいないタイプのいわゆる意識高い(意識高い系とも違うかな)バリキャリママたちが多い印象である。肩書もすごいし普通のママコミュニティのようなキラキラ〜ゆるふわ〜な感じではない。サクサクとやるべきことを掲げ、オンライン会議し、それぞれが手掛けてる企画案を報告したり、イベントの宣伝したり。

最近ビジネス書も多少読むようになり「自分ってホント、資本主義経済のことなーんもわかってないなー」と実感しているが、こういうバリキャリ女性の思考や行動ってのも触れる機会が今までほとんどなかった。両親ともに公務員だったし、大学の友人とは付き合いがないし、その後に出会った人は研究者や福祉職ばかり。

で、そういうバリキャリ、元バリキャリの人が子育てのことにコミットしていくのってすごくいいね〜(なんという語彙力のなさ…!)。誰だって完璧に子育てしてるわけじゃないし、バリバリ働きつつも子育てにも仕事にも乗り越えなきゃならない壁がある。時代の最先端の企業の中で活躍してきた女性達だからこそ、その素晴らしい行動力やアイディアをまだまだ遅れている日本の子育ての改革に活かしてくれるなんて頼もしいことだ。

研究者や専門職のできることってすごく限られた一部だったりする。稼ぐこと、周知すること、魅力的に見せること、繋がること、合理的に進めることなどデータや論理性以外の部分に長けているのは企業勤めの人達の方だと思う。福祉や心理の援助技術だけ学んだ人、研究だけ得意な人じゃあなかなか手が届かなかったかゆいところを掻いてくれるのがそういうワーママなのかもと思っている。

 

子育てというトピックは一部のマイノリティにのみ降りかかることではなく企業で働いてる人たちにも身近な出来事だからこそ改善の余地がある。数も圧倒的に多い。まあ、だからこそ間違った方向に行くと軌道修正も難しいけれども。

 

バリキャリじゃなかったとか社会全般の課題がどうとかいう大きな話は一旦おいといて、”じゃあ身近なところで子どもを預けあったり協力しあったりしてみよう”と考えたときに、私は友達も少ないし人見知りだし回避性人格障害引きずってるのでなかなか人(ママ友や近所の人など)と預けあうとかいうのは理想だけどできないなぁと最近思ってて。

 

そういう部分も含めて自分の強みはそこじゃないんだなとしみじみ思う今日この頃。

たぶん、ママ同士のなんちゃらとか世間一般のイメージ的なあれこれ(←なんだこのあいまいさ・・・)については私が考えることではなく得意な方々にお任せしてしまえばいいのだ。

こんなことを書いてたら昨日フェイスブックで繋がった学生時代のバイト仲間が会社立ち上げてCEOやってて、しかも「こんなサービスあったらいいなあ」と思ってたようなことをやってると分かってものすごくタイムリーだなーと思った。やっぱりそういうことができる人は学生の時から虎視眈々とそういう方向に積み上げてる人。

で、その会社がやってるサービス眺めながら思ったのは、共働きがスタンダード化しつつある今、お金さえ払えばやってくれるサービスってたくさんあるし、そういう子育てサービスにお金を払える層もたくさんいる。安さより質のいいものを求める。うちは郊外だし専業主婦も多いからそういうのにアクセスしてない家庭が多いからなかなか見えてなかったけど。

 

私は、ひたすら公的サービスやキャリア女性たちが立ち上げたサービスを使い「怖くないよ~」と人柱になっていくことかな。今年はこの際ショートステイまで手を広げてみようかと思っている。あとは泊りがけのキャンプにも送り込むし。託児サービスでいうと、ファミサポは使ってるけどベビーシッターは頼んだことないからやってみようと思ってる。

 

作るとか変えるとか考えると途方もなくて無力感を覚える。既にあるものを使うだけでもいい。そんで、私はよりマイノリティ側に目を向けられる。そこにはまだまだ足りてないことが山積みだ。

何かを成し遂げようと思うとどうしても「今のままの私では不十分」という思いに辿り着いてしまう。過去でも未来でもなく今を実感しながら生活すること。それを意識すると、結構幸せだなあと思える今日この頃である。駆り立てられるように掲げた新年の目標が、年の瀬に達成できてなかったとしても、「まあそれはそれでいい1年だった」と思えたらいいな。