何者でもない自分の記録

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心に余裕を持てる選択とは

昨日は上野千鶴子の講演会に参加してきた。日本の男女平等はどこまできたか(だったかな?)というテーマ。一時保育付で無料の講演だったのでかなりお得感があった。

 

学んだことや衝撃的だったことは山ほどあったのだけど、その中で今の自分の状況を振り返るきっかけとなったこと。

 

最後の質疑応答で、子ども食堂で支援しているという方からの質問。

上野先生は、世間からの"子育て中は母親は家庭にいるべき(家庭を優先すべき)という声に負けずに女性に働いてほしい"、ということを仰っていて、その意見に賛同できるが、母親が働いているがために子ども食堂に来ている子たちは、やはり母親の愛情不足を感じる子が多い。そういう母や子に何をしていけばいいのか?

 

という主旨だったかと。上野先生は2点感じたことを仰っていた。

一つは母親の愛情不足というが、親はもう一人いるはず。父親は一体何をしているのか?ということ。

 

もう一つは、母親の愛情不足と感じる背景には何があるのか?子どもを本当に愛していないだけなのか、それとも愛情を注ぐ以外にやらなければならないことだらけで、余裕がないのか。もし、余裕を持てたなら愛情をかけられる親なのに、それができないのだとしたら、それは社会(長時間労働、ワンオペ育児、シングルマザーのひせいきなど)に問題がある、と。

かなり意訳ですが、そんなことを言っておられた。これには深く頷いた。

確かに、虐待する親も、夜中まで働きネグレクト気味になっている親も、育児を手伝ってくれる人がいれば、せめて話し相手がいれば、男性並の生活保障があれば、時短勤務でもキャリアが潰されなければetc...

そんな状況なら子どもに手間暇掛けれたかもしれないと思う。

ちなみに、父親不在はそれ自体が暴力だ、という文言もありました(別の研究者の本からということでしたが)

 

今私が本当に別居を選択し、保育園に移り、仕事もフルタイムに切り替えたら、今のように娘に愛情をかけられるか?というと否。これは断言できる。

よく、子育ては量より質が大事と言われるし、確かに手間暇かけて、十分に向き合わなくたって子は育つと思う。子どもの育ちの力を信頼するのも生きる力を育むことだと思う。とは言っても、もともとフルタイムで挫折した私。疲れ切って時間の余裕もない状態で満足行く関わりができるか?今だって質を保障できないから量で補ってる部分があるのに。

 

カサンドラ症候群の元である夫から解放されれば、確かに私の自己肯定感は上がるだろうし、「夫」からの制約からは自由になる。だけど、転居や転園といった失う経験を補うために今以上に、もしくは今と同等に娘を愛せるか?自信はない。心の余裕って、俯瞰するとお金や時間ともやはり密接に関わることがよくわかるから。そう、今の余裕はお金と時間に関してはかなり恵まれているのだ。

 

結局、私が諦めきれないものはなんだろうか?絶対に譲れないことはなんだろうか?

 

家を出ていこうとシェアハウスを検討したけど、とりあえず短期ならマンスリーマンションでいいかな、というとこに落ち着いていたもののまた堂々巡り。

夫には、このままでは別居も視野に入れることやシェアハウスの見学に行ったことも言ってある。それで「なら出ていけよ」という反応ならば喜んで出ていくが、私の本気度を伝えたことで、これもする、あれもする、と申し出てなんとか食い止めようとする夫。

今までその言葉を信じても実行されず裏切られてきたので信用してはいないが、こっちの要求を飲んででも別居や離婚はしたくないという意志はあるのだろう。

 

とにかく、過去に抑圧され我慢し続けた自分をねぎらいたいんだ。そのためには短期でも別居をして、4月には戻る、というのが落としどころかなー。

 

男女平等という視点では今のワンオペ育児にOKを出せないから、父親はもっと育児というケアに介入しなければならないと思う。それは大前提。

しかし、父親が同等に子育てに関与したとしてもまだ足りないのが今の時代の子育て。父親が(も)子どもの面倒見てるから、他者の手は借りなくていいのではない。ちなみに祖父母だけでも足りないし、特に祖母依存型育児は未来がない(昨日の講演会でそんな話があった)。そういう血縁以外の関わり。「生んだからには人に頼らず自分達で責任持って育てろ」「家族以外に預けるなんて怖い、無責任」「自分たちのやり方に口出しされたくない」といって閉鎖的になるのではなく、やはり子育ての社会化を進めていくことが今子育てする世代の責任のように思う。

 

夫に対してはこれからも要求していく。少なくとも児童福祉を専門とする身として「あんたは育児苦手だし仕事大変だから、しなくていいよ」とは言えない。

ただ、昨日学んだこととして、女性がやってきたことをそのまま男性にやらせることが平等ではない。男性並に働くことが男女平等ではないように。

となると私がやるべき事も、単に育児しない夫を見放して出ていくだけでは足りないのだ。自分がフルタイムで働いて養えればOKなのでもないのだと感じる。

こうやって自分や娘の利益だけでなく社会全体のことを考えてどう行動するか?ということに思いを馳せられるのも心に余裕のある時だけ・・・。数日前まで夫への怒りに支配されていた時には「この先どうなるかとか他人様がどうなろうと知ったこっちゃねぇ!私はこの怒りから解放されてーんだよ!」という気持ちに囚われていたから。

一段高いところから俯瞰する⇒メタ認知ってそういうことなのかもしれないが、それだって心の余裕がないと感情に支配されてしまう。

 

怒りや恨みといった負のエネルギーを合理的にポジティブなことに注いでいく。口で言うのは簡単だけど難しい。でも今日のように比較的メンタルが落ち着いている時こそ、このエネルギーの使い方を考えておこうと思った。